【観光都市としての魅力とは?】あらためて港町ヨコハマを巡って光と影を実感…の巻(2)
(令和4年旅関連は時系列無視で気ままにテーマごとに
随時放ちますのであしからず)
どうやら令和の函館市民にとって「横浜」という二文字の距離感が
港町という「同志感」を大きく上回ってるようですね。
ブログ主は歴史的に見て
ライバルと言ったら御幣はあるけれど、
長崎、神戸、横浜は開港都市として函館という街に対しての比較対象になると思ってる。
きっと若い世代は「大差をつけられていて比較になんかならない」と思っているのでしょう。
人口とか、街の規模しかモノサシがないのよね。
今回横浜を真剣に散策してみて印象に残ったのが(港と)「鉄道」の存在。
マイル集めをしてるだけでそれがわかる。
まず馬車道。
ホテルがすぐ近くだったもんだから、意識しましたね。
冷静に見ると一方通行の狭い道なんだけど。
横浜港が開かれ、関内に外国人居留地が置かれ、
居留地と横浜港を結ぶ道路として1868年に開通しているわけ。
外国人がこの道を馬車で往来したことからそう呼ばれるようになりました。
自分がこの名称を初めて知ったのは
(桑田佳祐作詞)「恋人も濡れる街角」なんだけど。
そう思っていたら馬車道に対して「汽車道」というのもあった。
こちらは明治末期にできた横浜新港埠頭に荷揚げされた貨物を
横浜税関まで運んだ貨物線の名残(廃線跡)。馬車道が成立してから40年後ぐらいに
ここを鉄道が走ってた。
どおりで「開港の道」として整備された散策路が
横浜税関の前を通って、山下ふ頭方面へ。
ただひっかかったのは
この転車台跡の説明板。実は広場を整備する際に完全に埋めきらずに
遺構が見えるようにしたそうですが、わかりにくかったですね。
いやいやこうして横浜港(岸壁エリア)には遺構が随所に顔を見せていて。
当時の面影を残して建造物を維持することの困難さがわかりました。
特に戦前なら「残しておけば後世観光資源になる」などと発想するわけないしね。
何でもかんでも復元すればよいというものでもないし、
適度に過去の歴史を振り返りつつ、
保存するのはけっこう費用がかかるでしょうね。
だから、昭和レトロな建物も実は下層階はオリジナルデザインを尊重していても、
実は立派な高層オフィスビルということも多々あるわけです。
馬車道とともに景観保全の意図がくみ取れるのが
日本大通り。
ビジネス街として横浜の中心をなしてきたこの界隈には
おかげで雰囲気のあるビルがたくさん建ち並んでいました。
キング・ジャック・クイーンはほんの氷山の一角。
確かにそのなかで堅牢な銀行建築が占める割合が高いので、
当時の銀行がいま何になっているか、これが港町を散策するうえでの
ポイントかもしれません。
巷では若い世代に「昭和レトロ」が受けているようですが、
そのブーム?が継続するのかどうか、古き良き××が
どう評価されるのかますます気になった横浜タビでした。
横浜の「影」の部分についてまだ語り足りないので(3)まで予定していますが、
それはだいぶ先に延ばして、ほかの街の関連ごとへハナシを飛ばそうと思ってます。
次回は一旦、神戸の話へ。
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