【集める旅・つながる旅】予習が活きる古戦場観光@岐阜県
このエリアはふと「空白」を感じたので足を運んでみました。
メジャーかマイナーかと言えば
知名度は抜群ですが、観光地としてはマイナー。
行けば何があるの?
そう思う人も多いでしょうね。
いやいや、何もなくてもいいんです。
同じ空気感を確かめられれば、ね。
今回のラス旅のほかの地域同様、それなりに予習はしてみたのですが、
ここはアップダウンと距離感がわからない。
チャリを借りる前提での散策でしたが、所要時間に確信が持てない。
でもほぼ想定した通り、でした。
少々のアップダウンがあって、15キロ程度を2~3時間で。
事前に描いたイメージはそんな感じです。
無理して足を伸ばしたら消化できない端っこ端っこを切り捨てて…
そこそこに楽しむことができました。
でも冷静に考えてみて、地元の観光施策が万全だから楽しめた、
という事実は明白です。
誰が見てもわかる「遺構」がほぼ存在しないからこそ、
最大限の努力をしてみた…持たざるものの努力を感じた関ケ原町でした。
まずは前日、静岡での伏線二発からスタートしましょう。
そ、関ヶ原の戦い、東軍大将、徳川家康。
さて、
東海道線関ケ原駅のホームはこうなってすでに「演出」が始まっていますが、駅自体は小さな駅です。
駅前に交流館があり、ここで自転車を借ります。
ここでも前泊のGoToクーポンが活きますね。
こうして使うのが本来の正しい使い方。
交流館前にはモデルコースがいくつも掲示されてますが、自分の目標は
制限時間内で最大限の概要を把握する、だったので、チャリを借りるときに
スタッフに手応えを相談してみました。
具体的なアドバイスとしては西軍、石田三成が陣を構えた笹尾山から展望すると
ある程度全容がつかめるとのこと。
というわけでまずは笹尾山を目標にして、そこまでの所要時間をにらみながら、
可能な限りの各将の陣跡をひと筆描いてみることになりました。
1.(東軍)松平忠吉・井伊直政陣跡
すべての陣跡等の史跡に「説明板」が設置されています。
これを順番にたどればひと筆描きは完成、します。至れり尽くせり。
2.(東軍)田中吉政陣跡
3.(東軍)陣馬野公園、徳川家康最後陣地
ここに古戦場記念館がありました。(スルー)
ここでもチャリを借りられるそうです。
4.(東軍)細川忠興陣跡
ここからすこし上った先にある「黒田長政・竹中重門陣跡」はパスして
こちらへ。
5.関ヶ原の戦い・決戦地
いまは見渡す限りの農耕地です。
6.(西軍)島左近陣跡
笹尾山の下にある島左近陣跡。そして急な斜面を2、3分上った小高い場所に
7.(西軍)石田三成陣跡
笹尾山までやってくると、家康の最初の陣があった桃配山の方角や、
寝返った小早川秀秋が布陣していた松尾山などがよく見えます。
実際に肉眼で見てみたかったのはココ、でした。
↑正面が小早川秀秋が布陣した松尾山(真ん中の山塊)。笹尾山からよく見えます。
↑徳川家康が最初に構えた桃配山。笹尾山からはちょっと見えづらい?
↑こちらは毛利秀元が布陣した南宮山。でも秀元はここから動かず。
だいたいの距離感がつかめたのでここからは西軍の陣跡を続けて
巡ります。
8.(西軍)島津義弘陣跡
島津の退き口、敵中突破で有名な島津義弘の陣跡。
9.(西軍)小西行長陣跡
笹尾山(矢印)がよく見えるポジションです。
小西行長陣跡の近くに「開戦地」とされている場所が。
このあたりで西軍は東軍に突っかけられて戦闘になったそうです。
ここからは時間の関係で西軍、宇喜多秀家と大谷吉継両陣跡は
割愛して東軍・福島正則陣跡へ向かいます。
おっとその前に松尾山の麓で関ヶ原の地名のおおもとになった
「不破の関」跡地を見てみます。遺構はほぼ何も残っていません。
7世紀の壬申の乱があった場所で伊勢鈴鹿関、越前愛発関と並ぶ日本三大関なのだそうです。
まったく日本人は大好きだな三大ナントカ。この関所が文化的にも日本の東西の境界と言われてます。
10.(東軍)福島正則陣跡
神社の一角でした。
11.(東軍)京極高知・藤堂高虎陣跡
中学校の敷地のなかに。
12.(東軍)本多忠勝陣跡
本多忠勝陣跡は民家の裏庭でちとびびりました。
結局、東端の徳川家康最初の陣、寝返った小早川秀秋のいた松尾山まで足を伸ばしていたら
あと2時間あっても足りなかったと思います。宇喜多、大谷陣地も行くなら
全部で6~7時間コースになるところでした。
それにしても合戦エリアが狭いはずがないので、徒歩観光、クルマ観光しようと
発想するヒトの気が知れませんよね。チャリ絶対!でもほとんど誰にもすれ違いませんでした。
そりゃ人気の観光地になりえないわけですわ。
とはいえ都市化されて高い建物が建っているわけじゃないので、400年前に近い自然地形が
楽しめました。
いやいや、ホント丁寧なマップが用意されていて、観光のしやすさで印象に残る土地でした。
岐阜県内では白川郷、高山、岐阜、下呂温泉などと比べてもマイナーですが、
かなり満足度の高い訪問でした。
関ヶ原の戦い以外に名前を聞かない武将もいれば、関ヶ原に登場していない当時の有名武将、
たとえば加藤清正や立花宗茂とかもいて、天下分け目の合戦に日本のほとんどの武将が
集結しているわけじゃない、ことも勉強になりました。
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