【昭和前半の函館のメイン繁華街】寂れゆく十字街の悲しいサイン…
以前から違和感を感じていたので、こんな記事を書いたこともありました。
更新記事「嗚呼…哀愁の十字街界隈からの…メディアに出ない函館洋食?」
2018/9/9ということは2年も経ったんだなー。
ま、全然伝わっていないというか、タイトルがフェイクと言うか
主旨を自分でゆがめている気もしますけどね。
特にこの地区のホテルは中国系インバウンドを集めていて、
そのおかげで街が「耐えて」いた部分も大きい。
古い店が勢いを失って消え去るのはある程度はしかたのないことだけど、
奮闘しているお店がさほど思い当たらないこと、
お店の側の明らかな気力の衰えがいかんともしがたいのは
両輪のような気がする。
それが飲食店の閉店、建物の解体、更地化に直結してしまうとすれば納得できない。
とっかかりその1はこのお店。
最初の認識。18年10月。
この画像は19年7月だが、この時点で飲食店営業免許は切れていた。
保健所への報告は19年10月16日。
それから1か月も経たないうちに
つまり、保健所が「営業届を出しましょう」と促したことに反応して
店主が「続けない」という決断をしたということになる。
重要なのはこのくだりとメッセージ内容。
先月はいつやねん…。そこ。
客がいようがいまいが、「とりあえず開けとく」という判断もあるのだろうけど。
さらにショックなのは
20年2月末には建物が消えていたことである。
とっかかりその2は18年8月に認識したこの店。
とっかかりその1のお店から徒歩2分のロケーション。
この時点でまあ単純にやってないんだろうな、という判断。
保健所に廃止届は出てない。それが1年後(19年9月)に
はこだてどうよ?…するとその2週間後、
看板も自販機も消えた。動きがあるな、と思ったら
そういう動き。翌月末ビルごと更地になってた。
ちょうどこの向かいに、とっかかりその3。
18年9月初認識。やってないように見えて、この時点では
しっかり営業中。すると
19年11月末には何やら片づけ中。いかにも閉店準備。
そしてここも翌年2月下旬には
となってました。実はこのお店は
19年の年末に時任町に移転したんだけど、中央病院よりさらに
千代台寄りであまりいい場所とはいいがたい。
その隙?をついて、20年4月に
こうなったのでビックリなのでした。
まあこのお店の「気合」については
20/8/20更新記事「放置精神定着が早すぎるのも共通パターン!?@末広町」でお伝えした通り。
末広町・宝来町界隈は昔から土地勘があり、時期によっては集中的に「通う」ので、
漠然ととらえていましたが、ことし4、5月の新型コロナ持続支援金問題で
まったくもってノーケアだった2店舗が無届をカミングアウト。
実は現役店舗だったのね!
これまた十字街界隈の「哀愁」の一環なのでしょう。
いわゆる「西部地区」との境界線である十字街に
いかに函館地元民が足を運ばなくなったか、
自分のように全盛期の十字街を知らない世代でも、
街の放つ独特の陰りを受け止めてしまうのでした。
次に心配なのは骨肉のカレー屋さん?
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