【令和二年・第五回タビ】なぜか山形…山形市後編
それなりの経済規模の地方都市は
観光面でもちゃんとしている、と思うわけです。
その街の施設やスポットに旅行者としてどれだけ興味を持つかは
別にしても、こういうのを好きな人がいるんだろうなあ。
そう思えたら「?」はそんなに飛びません。
自然も歴史のグルメもほどよいバランスで調和していれば、
まあいいんじゃないかな、と思います。
(山形城址の)二ノ丸南大手門から進んで行って
これを見て、
ああちゃんとしているな、と思いました。
残存部分と修復復原部分が明瞭に示されていました。
奈良で薬師寺を訪れたときは、
いーっぱいお金を集めて、いーっぱい復原したよ。
さあどーだというムードが鼻につきましたが、
そもそも山形城址に入場料(拝観料)はありませんから、
へえ。それもこれも復原ね。と思ったところで
「コツコツやっとるなあ」で納得するんです。
山形城址は二ノ丸のまわりが水濠で、
本丸のまわりが空濠になっていて、
それらを取り囲む三ノ丸となると
城下町としてはかなりの広さになるようです。
こういう基礎知識は有料施設で見るものではありませぬ。
つまり二ノ丸まで史跡公園として残した、と。
そこへ
こういう重要文化財(済生館)を移築したり、
博物館や美術館を集めて、憩いの場、城址公園(霞城公園)を形成しています。
東大手門の復原も枡形そのものを復元していて
多聞櫓と高麗門どちらも立派でした。
あと復原されているのは本丸の一文字門ですね。
本丸もじわじわ発掘調査を進めるとか。
珍しいことではありませんが、計画的な整備構想が存在していることがわかります。
そもそも山形城って誰のお城?
代表的な戦国武将はこの人。
最上義光。もがみよしあきと読みます。
知らんかった。
勇壮な騎馬像でしょ。この武将に対する山形市民の「愛」を感じます。
うーん、全国区とは言い難い知名度ですが、
最上義光が藩主だったときの山形は最大57万石あったそうです。
義光なき後、三代目のときの1622年に御家騒動で改易。
藩領は4分割され、このとき庄内藩となる鶴岡藩も生まれたようです。
その後は20万石前後の中藩として、代々徳川譜代の大名が治めていたそうです。
天守のないお城ながら、自治体あげて遺跡の発掘保全に取り組んでいる好印象。
ところで前日のNHKニュースでウィズコロナ期の美術館の施策を
取り上げていて東郷青児美術館「ゴッホのひまわり」が出てきていました。
なので、「ゴッホのひまわり」をぐぐったら、日本各地に「ゴッホ収蔵美術館」が
あるのだと知りました。そのなかのひとつが山形美術館。
ほんと美術館などに入場料を払わないキャラにもかかわらず、「めぐり合い!」と
ばかりに足を向けました。
でも企画展を三期に分けて実施だそうで、入場料が少し高くなっていたのでやめて(笑)、
となりにあった噴水が立派な「最上義光歴史館」(入場無料)を見てきました。
いやあ(甥っ子)伊達政宗との関係性などもわかって勉強になりました。
「関ケ原」の年に
上杉軍と最上・伊達連合軍が激突した、慶長出羽合戦って有名な戦いだったんですね。
やっぱり知らないこといっぱいあるわ。
というわけで美術より歴史に走るブログ主。
夕暮れどきの散策も乙なもんです。
駅までの商店街・飲食店街にはこんなバナーが至る所に。
「ムードを盛り上げる」努力はたいせつ。
まあ一瞥して簡単には入店せず、
駅ビルの中を物色して、第五回タビで最初のデリ飯ディナーとなりました。
カツオの握りずしがメイン。あとは日本一のテイクアウト焼鳥なので
ありふれていてそれなり。
それでもや~っぱり酒田とは差がつきますね。
ホテルの裏にイオンもあったので押さえはきいていましたが、自重です。
ところで東口にリッチモンドの正当?ライバル、ダイワロイネットが建設中。
戦う気満々だぁ。山形市…観光規模的にイケてるのだろうか…。
というよりビジネスニーズが勝っているのかな。
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