【2019第8回タビ】PART5…幻の興浜線トレース路線バス旅
第8回タビの段取り・行程はほとんどすっ飛ばして書いてます。
今回はそこが重要じゃない。4泊5日のDAY-4の話。
題して幻の興浜線トレース路線バス旅。
出発が紋別。目的地はクッチャロ湖(浜頓別町)。
紋別を朝6時59分に出発して、浜頓別着10時40分。
浜頓別からの折り返しの最終は14時10分で、紋別帰着19時20分。
現地滞在時間3時間半。そんな乗りバス旅で何が起こったか?
とりあえず行くだけ行って戻る、そんな乗りバス旅。
いやあまたふだん見えないものが見えてきたんですよ。
紋別の劣化などかわいいもんです。需要と供給の果てしなきせめぎ合い。
ちなみに路線的には
紋別市の北隣が興部町、そして雄武町、枝幸町と通過して浜頓別町。
雄武町までがオホーツク振興局で枝幸町からは宗谷。だから
浜頓別、猿払と抜ければもう北端の稚内ですからね。
それにしても紋別~浜頓別が126キロあるとは思いませんでした。
バスは雄武までが北紋バス。そこから先は宗谷バス。
まずまずうまく接続するもんです。
この発想は2008年オンエアのテレビ東京
「太川・蛭子の路線バスの旅・第3弾(マドンナ伊藤かずえ)」で
宗谷岬へ無事到達していた記憶があったので、たぶん10年経っても行けるだろう、と。
旧国鉄のバス代替路線です。
番組では名寄から興部へ出て(旧名寄本線代替路線)、そっからオホーツク海側を
北上なので、興部~浜頓別は番組の再現タビでした。
そういえばことしの8月も太川・蛭子・生駒(里奈)のトリオが札幌~網走を
バス旅して、この名寄~興部を通過しましたねえ。
さて昔々国鉄時代、稚内からは天北線が出ていて浜頓別経由、
宗谷線・音威子府までつながってました。
そして浜頓別から分岐してオホーツク海側を南下するのが興浜北線。
開通したのは北見枝幸まで。
南からは遠軽から名寄本線。湧別・紋別を経由して興部を通って名寄まで。
その興部からまた分岐して雄武までが興浜南線。
興浜線は北見枝幸~雄武がつながらないまま、その役目を終えました。
1985年昭和60年のことです。そして30年以上経った今も地元の足として
代替バスが細々と走り続けています。
最初は単純にクッチャロ湖まで行って戻ったらどうなるかなと思っただけですが、
わずかな空き時間に街歩きをぶちこんだらあーら不思議、北オホーツクの街々の
知らなかった素顔がいろいろと見えてきたので、短時間で見た風景をかいつまんで
並べます。当然ブログ主の感性ですから、沿岸4町ライバル比較論に
なっちゃうのですが、これをエリアとして観光振興できたら、違う光が見えてくる。
でもさすがにムズカシイ。できることは何なのか。自分に関係ないことに興味がない
イナカモノしか住まない仮定にすると、過去現在未来は…という話になるわけです。
最後に沿岸4町の人口データ(19/5/31時点)と、道の駅画像を並べて
注:枝幸のみバスターミナルと道の駅が一致しないのでバスターミナル。
TA的登録レストラン数=カッコ内を書いておきます。
浜頓別町3,602(13)
枝幸町8,130(40)
雄武町4,450(18)
興部町3,800(14)
枝幸町は少し大きめなんですね。人口21,000の紋別レストラン登録数が135なので
(ちなみに函館はその10倍ちょっとの1580)なので、
なんとなく人口÷200がラインなのかなあと思えてきますね。
それにしても登録レストラン13って、どんな店が登録されてるんだろう。
逆に知りたくなったりして。
おっとここまで概略。細かい通過時刻表や運賃などは次回4町編の最初で書きます。
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