【2019第5回タビ】自分にとっての淡路島はアノ偉人の出生地
実際に調べてみて、明石海峡大橋よりも大鳴門橋のほうが、
先に開通していた、とは知らなかった。
明石海峡大橋の開通で、人とモノの流れは大きく変わり、高松あたりまでは
淡路経由で近畿圏というカンジに変わったんだね。
瀬戸大橋の利用度がぐんと低下したか。
もちろん鉄道利用者は岡山から「瀬戸大橋線」で高松・松山・(高知)方面に
振り分けられるけど、自動車の流れは南北じゃなくて東西なんだよな。
さて、このシリーズは函館(北海道)の恩人シリーズ。
訪ねるのはせいぜい年1、2回なんで遅々として進まんテーマだけど、
恩人たちの故郷を見ておく、現在の顕彰ぶりを確認するタビ。
▲古いカメラで撮影したねえ。2004/7/28でした。
実は15年前に偶然ココを訪れていて、
「あぁ自分は無知だったなァ」
「次回は意識して来てみよう」
そう思った場所でした。
司馬遼太郎も読んでないし、NHKのドラマも見なかったから、当時けっこう新鮮で。
ちょうど2004年の夏タビの第一テーマが伊勢湾横断で、志摩や那智勝浦を経由する
話を知人(現宍粟市=兵庫県内やや山間部在住)にしたら、
「姫路や明石まで出ていくからつるもう!」ということになり、
西明石で落ち合い、男二人でポルシェの2シーターで「さあ、どこ行く?」
知人は「讃岐うどん?」というので
何ぬかしとんねん!となり、淡路島行ったことないから、とりあえず明石海峡大橋
を渡るべさ。となったのである。
そのときの記念写真が先の銅像な感じ。
「高田屋嘉兵衛公園」???
なんじゃそりゃ?
ということですな。
小学生の頃、函館山遠足で「集合場所は高田屋嘉兵衛銅像下ね」と
すりこまれていた身としては、なぜこんなとこに?
嘉兵衛は淡路島の出身でんがな!
19世紀初頭。北前船の時代じゃ。
出身の五色町(ごしき・ちょう)はこの15年の間に洲本市に吸収合併されて
しまい、ますます寂れた。
この銅像に再会するために、高速舞子からバス「五色線」で一往復。
もうね、朝8時台についても、だっれもおらんわ。
▲五色ウェルネスパーク。またの名を高田屋嘉兵衛公園。
日帰り入浴施設は10時半から。キャンプ者は2組ぐらいいる気配。
しょうもないのでバス待ち時間の半分くらい、ツバメを見てました(笑)。
結局、はるばる函館から来たでえは誰にも言えず。
寂しい寂しいゆかりの地。
3月に訪れた松浦武四郎の記念館もヒドかった。
このぶんで行くと、恩人ゆかりの地すべてでこういう思いをすることが
想定される。
でもね、裏返すとひとつのことがわかるのではないだろうか。
函館=ひと旗あげる街…有名人になる街…ド田舎から出てきて日本史の教科書に
載れる街(だった過去)。
そう思えば、函館、ますます素敵じゃん?
ちなみにここは有名作詞家の阿久悠さんも関係者なのれした。
▲あの鐘を鳴らすのはあなた、のモニュメント
▲こちらは瀬戸内少年野球団
それにしても地元の人、ひとりぐらい捕まえたかった。
バスに同乗したおばあちゃんでもよかったのにザンネン。
※ちなみに終端駅めぐりで「鳴門」がけっこう難関、と思ったので、初徳島宿泊をくっつけたら、五色にも寄らずにはおれんでしょ、という旅構成でした。
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