【2019第5回タビ】姫路城…攻略への道PART3
別に姫路城を目的に行ったわけじゃないのに厚めの三部作。
困ったもんだ。
それだけ魅力がある観光スポットだということなんだが、
たぶん地元に住んでいると、そこには気づかないのだろう。
ま、函館といっしょ。
ということはこの記事を読ませたい相手は実は姫路市民???
さて「姫路」じゃなくて「姫路城」としての3回めは、
こりゃすふごいわ、と感じたさまざまなきっかけについて。
もうね、石垣の勾配がどうとか、狭間の形が○△□で面白いとか、
そういう当たり前のアプローチしてもしゃあないでしょう。
ちなみに姫路市のサイトにある姫路城図解を見ても、
知りたいことがゼーンゼンわからんのです。
そもそも姫路城って誰の城?と思いませんか?
誰の城でもない、わけはないのだけど、簡単に言うなら
徳川の城。おいおい違うだろ、池田輝政だろって?
確かにそういう時代もあった。
軍師・黒田官兵衛が姫路の生まれで、秀吉の中国攻めのとき、
ここを拠点にしましょうと進言したところから始まり、
江戸幕府が池田氏に築城を指示して、西国ににらみを利かせる
立派な城ができた。でその池田氏の治世は17年間で終わり、
次が本多(忠政=22年間)だ、松平(忠明・直基=10年間)だ、
榊原(忠次=18年間)だと城主がころころ代わる。
その後も松平直矩(15年間)、本多忠国(22年間)、
榊原政邦(37年間)、松平明矩(8年間)を経て、
ようやく1749年に酒井忠恭が入封して酒井氏が以後118年、治めました。
酒井氏の城というイメージはあんまない。
もうね、こんなすげえ城、殿様が誰だって城のほうが偉いっすよ、
てなもんかな。
で現存天守のサイズも出色だけど、しっかり残っててスゴイのが
この西の丸。続櫓にぐるっと囲まれて現存。
そもそも西の丸には豊臣秀頼と死別した千姫が
本多忠政と再婚してやってきたのである。
その名残の化粧櫓がこれ。乾小天守から見下ろしてどれ?
どれが化粧櫓?てなもん。
それらが百間廊下で延々とつながって囲まれているのがこの西の丸。
だからこれが全部?重要文化財で凄いんだよね。
▲図解は手前、南東カドの「かノ櫓」だけ抜け落ちています?
でも、その千姫もあまり幸せになれず。
(千姫が姫路城で過ごしたのは10年間)
それと印象に残ったのはお城の心柱の話。
▲地下1階ではアプリをインストールするとバーチャルで
ストーリーが楽しめる、らしい。せんかったけど。
東の心柱はわずかに最下部を除き
築城以来400年、天守を支え続けているけれど、
西の心柱は腐食が見つかり、昭和の大改修で取り替えた。
このときのエピソードが有名らしい。
西の心柱(3階)
こっちが東の心柱。3階でスタッフに
「なんで東のは丸くて、西のは角ばっているの?」と聞いたら、
西は昭和の大改修で差し替えたけど、継ぎ足してある、と教えてもらった。この部分???
最初に見立てた樹齢ン百年の檜、現在の岐阜県中津川から
切ってきたこの檜が2本とも途中で折れたらしい。不吉。
さすがに3本めは探す余裕がなく、それで困って代わりを探したら、
同じ兵庫県内の笠形神社というところの御神木がすごいという
ことでそれを差し出していただいてほぼ半分半分で
継ぎ合わせた、というドラマ。
▲こちらは役目を終えた初代の西の心柱が展示されておるのです。(入場口の外)
漆喰を全面的に塗り直して真っ白に変身した平成の大改修
以上の規模で行われたのが、1934年に始まった昭和の大改修。
ちょうど太平洋戦争の時期にかかって一旦中断。
1950年に再開してそっから終了まで14年間かけた。
その間、1951年に天守が(戦後の)国宝指定。
姫路には空襲があったわけだから、よく戦火を潜り抜けて残ったと、
まさに感動ストーリーなお城なのであった。
▲街中にこんな写真が展示されてたのを発見!
ところでさらに細かく見ると、8つの国宝、74の重要文化財の
間あいだに門や櫓が失われたり、復元したりで重要文化財に
指定されていない場所もかなりあることに気づく。意外とこれでも
歯抜けなのだ。
▲これは失われた「をノ門」跡。ろノ門手前で右に行かないと出会わない。
▲はあくまで文化財・配置図だということは調べて後から知る。
姫路城マスターへの道は、東西南北の画像に写る
お城の各パーツの名称を正確に言い当て、さらに失われた
パーツがいつの時代になぜ逸失したかも知るというレベルなのでしょう。
姫路城検定ってないのかな?(笑)
いちおうそこまでの道のりの遠さ、までは理解、理解。
▲一般登城ルートでは通らない「ちノ門」=南東側
▲東小天守の真ん前にある、ほノ櫓=北側
▲乾小天守の北側にある、いノ渡櫓
▲西の丸、南東カドのかノ櫓
▲天守東側、出色の高石垣、帯郭櫓と一段高い帯ノ櫓(右側)
最後にハフハフ合わせ。
これは↓で
これは↓これかもしれない。姫路城初心者にはムズカシイ。
さて、姫路市民の何%がそんな地元愛に満ちているか実に興味深い。
というわけで次回行ったときは
「とノ四門から水ノ五門まで行ったことあります? 天守までの
最短の近道、所要時間何分?」
と姫路市民にイジワル質問をしてみましょう。
態度の悪い駅の案内所で仕掛けてみるか。
というわけで途中途中でテキトー撮ったお城のパーツを後からココ!と
特定するのがなかなか大変だった。でも楽しかった。
この一つひとつ、並の城なら「これは重文!」を胸を張っちゃうんでしょうね。
そうそう、あと土塀(漆喰塗り)は文化財でも石垣って文化財指定されないんだなあ。
後から積み直しが可能だから、かな?
姫路城…ま、10年以内にもっかい行く、か。
ランキングサイトに参加しています。上のシロフクロウ・バナーをポチっと、よろしくお願いします。
« 19/5/24、宮前町”お食事居酒屋”紅龍にて | トップページ | 5月某日、函館中央警察署・生活安全課・取調室 »
「旅で思う」カテゴリの記事
- 【令和4年第二回旅】京都、建物の絶景に出会う旅…巨大な三門、重文そして国宝(2022.08.01)
- 【令和4年第二回旅】京都、建物の絶景に出会う旅…まずは国宝唐門のハナシ(2022.07.27)
- 【観光都市としての魅力とは?】あらためて港町ヨコハマを巡って光と影を実感…の巻(3)(2022.07.26)
- 【そして神戸】哀愁の港町ぶるうす…???【復興の街並み】(2022.07.02)
- 【それは誰の闇?】食は文化ナリ。そして食べログ3.5の「カベ」の不思議(2022.06.27)
« 19/5/24、宮前町”お食事居酒屋”紅龍にて | トップページ | 5月某日、函館中央警察署・生活安全課・取調室 »
コメント