【西部地区の街並みチェック<4>】船見町編
街並み第4回は船見町…ここはエリアがごっつ広いです。
ところで「伝統的建造物」は「伝統的建造物保存地区」というエリアが
細かく定められていて、船見町は「地区」には含まれません。
その代わり「景観形成指定建築物」という別のカテゴリーがあって、
「地区」以外の有名建築物の多くがここに属します。
もっとも西に位置するのがこの建物。
No.17で函館検疫所台町措置場、現在はティーショップ夕日。
晴れた日にここから沈む夕陽を見ているとサイコーです。
明治18年(1885年)の建物。
西から数えてこれに続くのが、高龍寺。
まずNo.8のお寺の入り口である山門。(明治43年=1910年)
そしてNo.7の本堂(明治43年)
さらにNo.9の袖垣・防火塀。よく見るとイギリス積みのレンガの上に
フランス積みのレンガが乗っています。仏教寺院にレンガの防火壁。
それだけ函館は火事が恐ろしかったというわけですね。
引き続きNo.11の金比羅堂。
No.12の水盤舎。No.11&12は大正4年(1915年)
No.13は位牌堂。これがいちばん新しい昭和8年(1933年)。
No.14の開山堂はいちばん古く明治32年(1899年)。
そしてNo.15の鐘楼(大正11年=1922年)
最後にNo.16の宝蔵(大正5年=1916年)
高龍寺だけで9つ。すべてが国登録有形文化財。
こちらは幸坂の上にある山上大神宮。No.2で昭和5年(1930年)
この神社まで幸坂をてっぺんまで上ったことのある函館市民は
いったい何人ぐらいいるでしょうか?
1%以上いるようだったら驚きます。
で、その坂の途中には旧ロシア領事館。
No.3(明治41年=1908年)
残念ながら朽ち果てていて中に入れません。
幸坂から一本西寄り、千歳坂の上に寺院が3つ並んでいて、
函館山に向かって左から東本願寺船見支院、実行寺、称名寺。
年代は順に大正15年(1926年)、大正4年(1915年)、
昭和4年(1929年)いやあ立派なお寺(神社)ばかりですね。
でも船見町ですからほとんどが函館山の中腹。
これを景観形成と捉えるなら函館港に入港する船から
見える函館の街並み???
明治40年、大正10年の大火の影響がないエリアですかね?
建造年代を見るとわかりますね。
次回はそのお隣の弥生町・弁天町。
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