世の中「気づかない知らない」を恐れていては始まらん!
地元でも案外知らない…で片づけてはますます遠ざかると思うわけですな。
ナニ、あんたの函館愛が異常だと?
旅をしない人にはそこんところがわからないかもしれません。
どう見てもA-1に属するタイプの知り合いが
(残念ですがこのブログ読んでないみたい)
知らなかった、というわけです。
いつもの口調で言えば「じゃあ知ればいいじゃん」ですけど。
いつも見ているNHKの歴史秘話ヒストリア(NHK総合…レギュラーは毎週水曜夜10時)。
その土曜ローカルの再放送枠(19.4.3AM)で「中島三郎助」をやってました。
このぐらいの知名度の人物が取り上げられるんだ!<歴史秘話ヒストリア。
ま、知る人ぞ知る…もコノ番組のおいしい狙いでしょうけどね。
ちょうど税務署の前に碑がありますが、箱館戦争で降伏を拒絶して
親子3人で(武士として)討ち死にした三郎助は、
神奈川は浦賀の人だったんですね。確かペリー来航のときに最前線で応接した、
までは知ってましたが、下っぱなのに勝手に「副奉行」と名乗ってペリーに対抗。
度胸のある人。それが縁あって榎本軍に加わり、ふたりの息子とともに函館で最期を遂げました。
で、中島廉売の中島町は三郎助からとった町名なわけです。
これを中島町在住の市民以外は知らないのは情けない。
徳川幕府の最前線にいた役人、ペリーと最初に交渉した人が眠る町、
函館なんですよ。
ちなみに榎本町も榎本武揚からとっていて、
榎本は負傷兵を湯の川温泉に連れてった話が有名。
名だたる歴史的人物の足跡が残る街はこだて。
有名人は新鮮組副長・土方歳三ばかりじゃないんですね。
なかなかの人間交差点。
その歴史の深みを建物だけ見て語るのは大マチガイ。
4/16にこうやって撮ってきたら2週間後にこんな立派になってた。
三郎助たちが必死に守った、津軽藩由来の千代岡陣屋(跡)。
って、ふたりの息子の顔写真、今回初めて見た。
またこっから広がるかな?
18/9/30更新記事
「150年を前にして、そういうこと???@函館駅」
半年以上前に指摘したことが今頃になって?
でも函館市は何もしません。民間で勝手にやってくれ作戦。
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