【西部地区の街並みチェック<3>】元町編
この調子で行くと、素直な函館市西部地区観光案内になると
思ってないでしょうね? まさか…。
そんなつもりは毛頭ありません。
まあまあここまでは函館市民として、だからどーした、フツウだろ、
レベルの有名建築物(伝統的建造物)を順番に紹介しているだけ。
一応年代が古そうな順に…明治40年の大火のあとなのか、大正10年の大火のあとなのか、
はたまたそれ以外なのか、そこをベーシックになぞっているという。
元町界隈で明治期の建築はご存知、
明治43年(1910年)完成の旧函館区公会堂(現在改修中で画像は15/8/13撮影)
▲だからこの建物は昼間逆光なんだから朝イチに撮れよ、なのだ
かえってこっちのほうがよく見える、か。
あと、カトリック元町教会横の民家3軒。
公会堂より早い明治41年(1908年)。
No.42(真壁家)、No.43(小形家)、No.60(幌村家)。
真壁家、幌村家は隣同士そっくり。
基坂より西側のこの建物も大正10年の大火はセーフだったみたい。
No.59(生田ステンドグラス函館)明治42年(1909年)
そして、続く大正期の、これまた函館を代表する
ハリストス正教会。そして東本願寺函館別院。
それに旧英国領事館。大正5年(1916年)。
大正10年の火事は日和坂を超えて基坂に迫っていたことを考えると、
最初の民家3軒は二十間坂と大三坂の間なので、かなり運が良かった。
カトリック教会は燃えているでしょう。↓カトリック元町教会は大正13年に再建。
相馬邸(明治41年=1908年)もそういう意味でぎりぎりセーフ。
坂の上のほうが火事を免れた確率が高い?
多くの観光エリアの建物はこの時期のものが多い。
少なくともいちばん市内の被害が大きかった昭和9年の火は
風向きが変わり二十間坂手前で止まってくれたのです。
(大火を体験した母親から聞いた話)
さて、ここまでがすんなりな話。
続いて<4>では「伝統的建造物」以外の
代表的な建物の、生き残り具合について検証です。
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