【西部地区・街並みチェック<1>】末広町編PART1
末広町の電停があるのは日和坂の下で、基坂から旧函館区公会堂へ行くときも
利用する電停だが、末広町のエリアは十字街から港、いわゆるベイエリア地区まで
けっこう広範。
▲日和坂下、末広町の電停脇には信号がない
函館市の「伝統的建造物」指定の整理番号1がこの「BAYはこだて」
七財橋から金森赤レンガ倉庫越しに見る函館山は
決まりの絵なのだけど、実はこの「BAYはこだて」は豊川町11番5号という住所。
ここが「保存地区」の東端なんですな。
BAYはこだて西側のドック部分も好きなんだけど、ふだん観光客の多い
金森赤レンガ倉庫を一棟一棟しっかり記憶しようとはなかなか思わないのも事実。
BAYはこだての西側に並んでいるレンガ造りの倉庫は5棟。
保存計画番号は向かって左から4、3、そして13、12、11。
倉庫としての番号は1号倉庫~5号倉庫。最初の2棟は金森洋物館。
次の2棟は金森ヒストリープラザで5つめが金森ホール、と言えばわかりやすいか。
人のいない写真を撮るには早朝に出かけないとならない人気の観光エリアである。
画像の撮影時間は午前5時台なのに、もう写真を撮っている人がいた。
これらの倉庫の築造年代は明治42年、すなわり1909年で明治の大火の直後。
代用教員をしていた石川啄木が函館を出た後にできた倉庫群である。
110年経ってるということになる。
まあそもそも自分は「伝統的建造物」という名称に問題があると思っていて、
ここまでの時点では伝統的=古い、レンガ造り=古いで
そこに多くの人は情緒を感じている。
レンガ造りの建物=素敵。この価値観はいかんともしがたい。
まずは明治末期、耐火建築を志向するならまず煉瓦。
そういう時代だったことを理解する必要があるだろう。
…そういう順番で話を進めていきたい。
明治40年の大火のあとも、大正10年。そして最大規模の昭和9年と
大火に見舞われる函館の街。どの場所にあって、大火をくぐりぬけたのか、
その後に建ったのかと街区と共に思いをめぐらせてこそ、街歩きだと
言えるだろうて。
古くてイイなあ、から脱却するのが街歩き上級者への道、だし、
他の街の建築物の年代を思う場合も、これらの函館のさまざまな建物群は
基準になったりするのだ。
続きは末広町第2回で。
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