【2019第三回タビ・岐阜城攻略編-2】美濃を制する者は天下を制す、かあ!
かの(戦国武将)斎藤道三は「美濃を制すものは天下を制す」と言ったそうです。
で、信長公はその道三(の後継者)を打倒。稲葉山城を岐阜城と改名しました。
居城としたのは彼が安土城に移るまで10年間ですが、いやあいい場所、なわけですよ。
前日通った大垣から少し先に進めば関ケ原、そして東海道・中山道の結節点。
そして遥かに伊吹山を望みつつ、琵琶湖東岸には北陸へ抜ける街道が
走ってます。岐阜城から交通の要所が手に取るように俯瞰できるわけですよ。
日本経済を牛耳る重要拠点が濃尾平野から琵琶湖・京都方面へ点在しています。
(長井氏)(1525-)
(のちの)斎藤道三(1533-54)
斎藤義龍(1554-61)
斎藤龍興(1561-67)
織田信長(1567-76)
織田信忠(1576-82)
=本能寺の変=(1582.6)
織田信孝(1582-83)
池田元助(1583-84)
池田輝政(1585-91)
豊臣秀勝(1591-92)
織田秀信(1592-1601)←清須会議の主役。12歳の城主。
=徳川家康にて廃城となる=(1601)
上写真のような平板な表現をすると無知な人は誤解をします。歴史の流れを理解していないと、
信長のポジションとその後がインプットされません。掲示している側は常識だと思っているのでしょうが
観光客の9割は?となってると思います。織田信長は12人の城主のうちのone of themではないからです。
岐阜城内にいろいろ展示物がありますが、…もちろん全部似顔絵です。
これも当然レプリカ。
日本の歴史の重要なターニングポイントを感じる名所ですが、
ヒーロー信長公にちょっと寄り過ぎ、かなあ。
織田信長がどこから来て、どこへ去ったか。そのとき日本はどうなったか。
岐阜市内のみにこだわらず、他の自治体ともうまく連携すればいいのに、ね。
まーまールイス・フロイスの書簡の写しなど、雰囲気は出てましたけどね。
おっと眺望をざっと紹介。
日差しの向き的にはこのアングルがベスト。眼下に長良川に長良橋。
そうそうツインタワー138に登ったときも同じランドマークを
チェックしましたね。ツインタワーは見つけやすいので、帰りのAIR DOからも
見つけることができました。
あとは岐阜城のすごい石垣と、金華山ロープウェー駅の隣にある信長居館跡。
それにしても、そのとき歴史は動いた、と感じることのできる現場なので、
岐阜=信長一辺倒ではもったいない。
そこれ金華山山頂の「歴史資料館」のスタッフに
【魅力の半分ぐらいしか伝わってないかなァ】とまたマシンガントークを
してきました。でもスタッフはけっこう共感していましたよ。
たださすがに函館との共通点があるとは気づかなかったようで。
ほれ、見晴公園にたくさんいるヤマちゃんが、この金華山にもたくさんいて
人間の手から餌をもらうらしいですよ。(この写真は函館のヤマガラ)
次回は岐阜城、金華山登山込で訪れたいもの。
ついでに長良川の鵜飼も見ないといかんなあ。
岐阜市、ちょうどいいサイズの街。セントレアへのアクセスもいい。
AIRDOさん、函館~名古屋路線なくさないでね。
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