田舎の幸せ、田舎者の不幸せ【PART1】
あらゆる人が人生の幸せを願う「欲」を持っているなら、それでいいのだけど…。
いちがいにはそう言い切れないようだ。
ここまでそうした人生を送ってきた今更「変われない」という人々を
正面から批判できるものでもない。
幸せになりたいが「変われない」…それもひとつの悩みであろう。
問題はこれからの人生が長い人たちだ。
いまは理解できなくても、遠い将来必ずや理解できるのだとすれば、
いま「変われない」老人たちの現状をどう説明すればよいのだろうか。
いずれにせよ「どこから」「どこまで」の線引きは難しい。
例によって実際に自分がこの目で見た光景を例にとって語ることにしたい。
その前に「田舎者」の定義を考えてみてほしい。
個人的意見だが「田舎者」とは異なる価値観を理解しようとしない人たちだと思う。
↑なんだかんだでJR函館駅は外から誰かがやってくる「玄関口」
自分の世界がすべてであり、「自分の世界」の外の人々を理解しない行動を指す。
このグローバルな時代に「自分の世界の外」というのは理解に苦しむが、
彼らにとって「自分に関係ない」世界の人々だから、無関心であり、理解できない、
ということなのだと思う。
もしこの先日本が観光立国に成長のヒントを見つけようとするのだとしたら、
そこである。
先日のニュース、徳島市でもめ事が起こっているらしい。
民放ニュースの報道?だけではでは何ともコメントしがたいが、
その市町を選んだのは誰か?ということではないか?
たとえば各自が自分と「祭り」についての関係性を今一度振り返ってみてほしいところだ。
函館市民にとって「港まつり」と東北の三大祭りはどう違うのか?ということだろうね。
↑いか踊り最優先…ねぶたも竿灯も七夕も永久に行かない???
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