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2017年1月27日 (金)

結局まだまだ知らない函館のハナシ・箱館奉行所と五稜郭(2)

前回のつづきです。

五稜郭…箱館戦争の舞台でしょ?

そう思ってしまうと、

函館港からの砲撃の射程外に築造した

はずなのに、官軍の甲鉄に狙い撃たれて

使えない城郭…そういう評価です。

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守備の要として五稜郭が成立すると

発想した責任者出てこい…そう思ったものです。

でもその読み違いこそが江戸末期、幕末だったんだと

許せる?ようになったりします。

なんで五稜郭の中に奉行所を復元したの?ではなくて

奉行所を守るために五稜郭を築造したのですからね。

奉行所のない五稜郭は画竜点睛を欠く

そういうことなんだと思います。

五稜郭の竣工は元治元年1864年。

五稜郭竣工と同時に新築の奉行所は移転して業務開始。

箱館戦争を経て明治4年1871年に解体。

たったの7年で取り壊されました。

きっと復元された奉行所のほうがオリジナルよりも

長い時代を生きていく…でしょう。

で、奉行所ですから建物だけでなく奉行がいたわけです。

箱館奉行は19世紀の初めにも一度設置されていて、

五稜郭の中に建築されたのは第二期。

第二期は安政元年1854年からで奉行並も含め、13人。

明治政府が発足するまでの14年で13人なのは、

奉行という役職は2人体制、3人体制だったからです。

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箱館奉行所はもともと基坂の上、

いまの元町公園の位置にあり、開港して外国人の

姿が多くなり、港からも函館山山頂からも

よく見える位置では防備に問題あり、ということなって

五稜郭ということになりました。

最初は「亀田御役所土塁」と呼ばれていたわけなんで。

幕府に奉行所移転を進言したのは、奉行所の役人、

堀利煕(ほりとしひろ)と村垣範正(むらがきのりまさ)で

その後、二人とも箱館奉行を命じられています。

ただし、五稜郭が竣工した元治元年1864年には13人の奉行のうち

7人はすでに職を解かれていて、最初に五稜郭で職務を執ったのは

小出秀実(こいでほずみ)で通算で4年9か月奉行職について

いました。最後の箱館奉行は杉浦誠(すぎうらまこと)。

2年3か月。彼が明治政府に引き継ぎをしたのは榎本軍が上陸した

年の1868年4月でしたから、五稜郭の中で奉行所が機能したのは

4年に満たないということです。

この2人が五稜郭時代の箱館奉行所のメインです。

その後、明治政府の府知事・清水谷公考(しみずだにきんなる)が

五稜郭にやってきますが、旧幕府脱走軍の進撃に半年ほどで

退却することになります。その翌年明治二年1869年に箱館戦争が

起こるわけで、まああわただしいというか…。

五稜郭竣工のあとに奉行を任命されたのは

小出、杉浦のほかに4人いますが、短期も多く

入れ替わりは激しかったようです。

まあ、考えてみれば、桜田門外の変が起こったのが安政七年1860年。

勅許なしに条約が結ばれて江戸も京都も

尊王攘夷で揺れ動いた大変な時代です。

函館の開港起算年は安政六年1859年ですから、

そこから榎本軍上陸の明治元年1867年までのわずか8年間に

怒涛の異国文化流入、江戸や京とはまったく違う風が吹いていたという

ことは想像に難くありません。

少なくとも2010年の復元奉行所オープンのときに、

この函館独特の立ち位置がうまく表現されていれば

面白かったのですが、どちらかというと

間取りの再現と、和人とアイヌにまつわる道南の歴史や

箱館戦争の経緯などの説明が主になっていて、

伝わってきませんでした。

奉行所が活躍?したほんのわずかな期間を

フィーチャーできていない時点で

期待ハズレの評価3.78なのではないでしょうかね。

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箱館奉行13人が一覧できるのは五稜郭タワーの展望台。

でも年表しかありません。

13人には有名無名も含めてそれぞれのキャラと業績が

あるわけです。

まずは展示を企画する側が興味を持たないと

予算もかけられないと言ったら、きついでしょうかね?

箱館奉行所ってずいぶん大きい建物だったんだよ、

と伝えたいのなら、それは

お金の無駄遣いだと思います。

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コメント

竹内下野守保徳
1854年6月30日箱館奉行任命
堀織部正利熈
1854年7月21日任命
1854年12月に老中阿部正弘に上申した。
と、検定を受けるとき覚えたのですが
テキストは堀と村垣が上申したと書いてます。
奉行所のガイドさんに堀利熈のことを質問してもわからないといわれました。

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