★少しずつだけど燃えている★「谷地坂問題」第3回
かつて谷地頭に向かう坂があった場所の坂を
谷地頭に向かう坂ではないが谷地坂と呼ぶことにした
のは誰でしょう?
函館市?
誰かわからないけど、そう呼んでいたらしいから?
それは誰?地元でそう呼ばれてないのに?
なーんか、すばらしい屁理屈ですね。
なぜ、このような屁理屈がまかり通るのか、
その背景を考えてみるとよろしいと思います。
さて、3月某日に開始した聞き込み調査。
まず最初に入ってみたのは、
冨岡氏が言うところの谷地ノ坂に沿った場所にある、うどん屋さん「十字街次郎うどん」
まだお店を出して長くない、とおっしゃるので、このあたりで古くから
お住まいの方ということで、トタン屋さんのご主人を紹介してもらいました。
お尋ねすると、そこのご主人は昭和7年生まれで昭和9年の大火は記憶にはないと
おっしゃっていました。
当時からその場所に住んでおられる方ですから、坂の名前を
ご存知かと思いましたが、知らないとのこと。
でもこんな内容の話をしてくださいました。
「家の前の坂の名前は知らないのだけど、昔はもっと急な坂で、冬になると、凍って
登るのに苦労した、とオヤジが言っていましたよ」
もっと急な坂? それだけの情報ではなんとも。
ブログ主本人、昭和40年代から、この坂を知っていますので、その時点では
ゆるやかな坂になっていたと思います。その頃は舗装はされてなかったかも、ですが。
突然お尋ねしていろいろお話しさせていただいてありがとうございました。
そういって退出しようとすると、ご主人は「そういえば…」と
古い新聞紙に包んである古地図を出してきたのです。
それは
「浪月堂書店からもらった古地図で、大火前の昭和8年のものだと思う」
「息子はこんな役に立たないものをとっておいても、っていうんだけどね」
とはトタン屋さんのご主人。
浪月堂書店とは戦前から十字街にあった書店(古書店)で、移転前か移転後か
定かではありませんが、ブログ主の父親も古本の売り買いをしていた記憶がある老舗です。
たぶん父親も青柳町とかそのへんの生まれなので、学生の頃からこの書店を知っていたんじゃ
ないでしょうか。まあ、自分はかすかに店名を記憶しているレベルですけどね。
で、一色刷りで不鮮明なので、とりあえずさっと撮影をさせていただいて
その日は帰りました。
後日その地図を読み返してみて思いました。
「昭和8年の地図?おかしいな高竜寺と称名寺が並んでいるよな。明治11年の大火で
これらのお寺は引っ越したからもっと前の地図では?」
その地図をよく見ると
八幡宮も昔の場所にあるようです。
そして八幡宮の上手には街区があって宅地があるようです。
いまのいままで、函館西高は八幡宮の後に建っているのだと思ったけど
違うじゃない。船魂神社の場所が変わらないとすると?
さあ、谷地坂問題に続いて次なる問題が発生してしまったのです。
じゃあ、函館八幡宮に直接問い合わせてみるか?
この通り沿いのトタン店のご主人にお話を伺った。
【つづく】
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