★「谷地坂問題」第6回★函館市観光部観光企画課の珍回答の意図
おっと1回分飛ばして、というか途中が抜けて
本日午前、第六回で書いてしまいました。そのくだりは第七回で明日UPです。
話は4月19日にこのメールが届いたところまででした。
正直、ゆっくりやってもらっていいよと思っていましたが、
メールの返信が来たのは4月28日の午後5時。
明日から大型連休のタイミング。
まずメールの文面は
添付ファイルが2点。まず1点めの前半です。
いまの坂標の坂は違うでしょう、という問い合わせに対して
意味不明の回答になっています。
もしかして、筆者が何を質問したかが理解できずに対応していますか?
揚げ足をとるなら
「わかりずらい」ではなく「わかりづらい」です。
イジワル返し(笑)
で、その問題の
「はこだて歴史散歩」(北海道新聞社刊)の記述がおかしいのか?
いまそれを問題にしているわけではありませんので、
それはそれとして後日調べますが、
1点めの添付ファイルの後半によれば、
「護国神社の坂と並行に別の坂があった」
「その坂を登ると谷地頭へ向かう道路と交差していた」
これは何度も紹介している地図のように、現在の平成の街区と
変わりません。
それがこの引用によれば、いつのまにか
「谷地頭に通じる坂」となってしまっているではありませんか!
「その坂を登ると谷地頭へ向かう道路と交差していた」…
なぜここを坂と書かずに「道路」と記述していたんでしょうか。
坂ではないからでしょう。
もうね、この記述そのものがちんぷんかんぷんで、
そのちんぷんかんぷんを参考資料として、坂標の記述を制作したと
いう回答に読み取れます。
そして。
そして、
わかりづらいので修正というくだり。
何がわかりづらいのでしょうか?
わかりづらいのではなく、ちんぷんかんぷんです。
ですから
「この坂と交差する道路が谷地頭に向かっていたので、
谷地頭には向かわないこの坂を谷地坂と名付けた」というのが
命名の根拠だとしたら、あまりに一般的な命名ではないということになります。
どこか特定の場所へ向かう道と交差しているので、その特定の場所を名称に
取り入れるのであれば、「坂」という高低差のある2か所を結ぶ経路の
由来は大混乱に陥るでしょう。
そうそう、もう1点の八幡坂問題。
この西高下の坂標に対して「坂の上にあった」は違和感ありませんか?
の問いでしたが、添付されていた資料は
これ。明治七年(1871年)の函館市街図。
ですから、これはもう入手済なんですね。
これを見ておかしくないか?
と聞いているのに、
「ほら、坂の上に八幡宮ありますよ」
悪意の回答だとしたら、それはそれで杜撰です。
事態をどんどん悪化させますからね。
火に油を注ぐのが観光部の狙いなのかもしれません(笑)
そこで4月28日のメールにはソク2点を中心に返信しました。
(↑あせって参照「させて」いただきましたを書き損なってる…自分)
さあ、この4月28日、連休直前のこの自分の返信に
どんなタイミングで、どんな答えが返ってきたでしょうか?
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