いよいよ16年3月、新幹線開業だけれど、貴重な産業遺産も忘れないで→摩周丸・八甲田丸
そのうち出そうと思って暮れも押し詰まったころになってしまいました。
ことしは日本全国いろいろな場所に行きましたが、函館市内で涙腺がつい緩んだのは
何を隠そう、摩周丸でした。
山頂から、そして八幡坂からのランドマークとしてはいつも愛でていた摩周丸。
ふだんとは逆視点で、船からもよく見えます。
↑八幡坂
↑ハリストス正教会と元町カトリック教会
いまでは、函館市青函連絡船記念館となっております。
別になあ、と実は思っていたのでした。
まあ市内の名所もいろいろあるから、ひと通り行っておかないと
コメントできんわな、と消化試合的に向かいました。
この日は初秋で、通り雨が何度もやってくる不思議な天候。
基本は船の中はこんなでした。懐かしい。
操舵室はこうでした。ああ、そっか。
終航まで25年間頑張ったんだ。
青森に係留されている八甲田丸の模型in摩周丸。
全盛期は北海道と本州を結ぶまさに大動脈だったんだ。
飛行機が発達して、青函トンネルができて役目を終えたんだ。
JRになってからの終航だけど、模型はみんなJNR(日本国有鉄道)のロゴで作られて
いるんだあ。一大産業遺産と呼べるよなあ…。
まあ、基本はそんなとこ。ここまでは想定通り。
ふと足が止まったのは洞爺丸台風のくだり。
この洞爺丸遭難事故をどれだけの日本人が正確に知っているのか。
かくいう自分も「え?そうなの?」がたくさんありました。
戦後まれに見る異常な台風だったこと。
当時の観測技術ではその異常さが予見できなかったこと。
台風が通過してからが大変だったこと。
多くの船舶が函館港、函館湾に避難していて、錨が切れて漂流する船舶が
続出。それらを避けながら、船体のバランスを維持するのは困難だったこと。
運よく耐えきれた船と、洞爺丸のように浸水からバランスを復元できず、
転覆してしまった船もあること。
台風に不名誉な冠名までつけられた洞爺丸が不憫になりました。
当日の各船舶の航跡を記録した図を見るととんでもない事態が起こっていたことが
よくわかります。
連絡船に乗船経験があるとか、ないとかそういう問題じゃあない。
けっこう年間のさまざまな旅を思い返しても、こんな気持ちになったことはないんじゃないかなあ。
行ったことのない人は、だまされたと思って一度行ってください。
で、この摩周丸の話だけでは不完全で、10月に八甲田・奥入瀬、紅葉ツアーを画策した
ときに空いた時間で青森港の八甲田丸も行ってきました。
かなり老朽化しており、修理のため公開部分が通常より少なかったけど、
摩周丸とは違う展示で違うものが見れて、函館の視点と、青森の視点は
こんなに違うんだ、と妙に納得。
八甲田丸の中には当時(昭和20年代)を思い起こす、人形展示。
キハ82が特急を引っ張っていた時代もあったのね。
修理が終わって春になったら、もう1回ちゃんと見て見たいよね、八甲田丸。
青函の歴史を連絡船を通じてする。
そうそう、高松でも思ったけど、フェリー接続の駅は基本終点。
青森駅も東北本線、奥羽本線の終点で、線路のカタチに特徴があるんだよね。
函館も青森も入線した列車が向きを変えて出発する、不思議な駅ですからね。
そんなことも思ったなあ。高松も瀬戸大橋のおかげですっかり地位低下してるもん。
四国の玄関口は岡山だもん。時代は変わるってね。
なかなかマネのできないブログがたくさんありますねえ。いろいろ参考になるなるっ!
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