【函館市民の皆さんはご存知ですか?】旧函館区公会堂のほんとうの歴史
(意図してこのカテゴリーに置きました)
コツコツと市内観光スポットに足を運んでいて感じることがある。
函館市と函館市民は来訪者の満足を第一に考えているのだろうか?
旧函館区公会堂の出口でこんな質問をした(意見を伝えた)。
「函館区公会堂の歴史がちゃんともっとわかるようになっていたほうがいい」
その前に「旧」函館区公会堂だよね?
旧があれば「新」はあるのか?
いやそうじゃなくて「函館区」って何よ。
これをちゃんと地元の学校で習った方々はどのぐらいいるんですか?
「願乗寺川(がんじょうじがわ)」とどっちが知名度上? 函館区。
それはおいといて、先に訪れた公会堂のすぐ下にある(徒歩1分)、
こんな掲示があってまたまた混乱。
1879=函館区設置
1882=函館県設置
1886=北海道庁函館支庁設置
なーんだ、区のあとに函館県になったんだ。
県のほうが区の時代より長いんだ。
おっとこれが大きな勘違い。
実はこの後に1899(明治32)~1923(大正12)年の間は
北海道区制によって「(北海道)函館区」が存在していたのである。
24年間の第二次函館区時代。
画像の年表にもあるように、その後は「北海道渡島(おしま)支庁」となる。
旧函館区公会堂は明治40年の大火で「町会所」が焼失したため、
明治43年に豪商相馬哲平が総工費の86%を寄付したことにより、
(つまりほとんどの資金を捻出)
明治43年、今の姿で建築されたのである。
もちろん当時は「函館区公会堂」で旧はつかない。
その後、大正10年、昭和9年の大火での類焼を免れ、
現在の公式名称「函館市重要文化財旧函館区公会堂」となったのである。
運営する公益財団法人函館市文化・スポーツ振興財団のHPを参照↓
http://www.zaidan-hakodate.com/koukaido/
ここまでの経緯を正確に理解している函館市民の方がいらっしゃれば、
ぜひお会いしてお話をお伺いしたい。
冒頭の問い、
1.
「函館区公会堂の歴史がちゃんともっとわかるようになっていたほうがいい」に
函館市重要文化財旧函館区公会堂の館長さんの名札をつけた方がこうおっしゃった。
「ちゃんと館内DVDで流しています」
ちょっとちょっと…
それは函館区公会堂の歴史、でしょう。
明治43年の時点で初めて函館区公会堂の歴史がスタートしたことは、
知ってて当然、の口振り。案内リーフレットに書いてあります、と。
「リ」スタートとは解釈しないのかあ。
「町会所」が火事で焼けたことは、本件と無関係、
公会堂として使われなくなったから「旧」とついている。
そんな紋切り型の対応にびっくり。
ここは公会堂についての施設で、明治40年大火前の「町会所」の
機能についてここでは語る必要がない、と受け取りました。
その機能の「差」こそに大きな函館振興の意図が隠されているはずなのに…
(実際、100年余を経過して、そうなっているし…)
↑この公会堂2階からの函館港の眺めがミシュラングリーンガイドジャポンで
★ついた?元町公園からの眺めもそう変わらないと思うんですがね。
2.
ここまでを補足するなら、先の(函館市)写真歴史館の受付のお姉さんに、
「函館県時代が4年で、函館区時代が3年。函館県のほうが長かったんだ。
知らなかった」と告げると、「はあ」と興味なさげにうなずいていましたっけ。
そもそも写真歴史館では1886(明治19年)の「町会所」の写真の下に
わざわざnow & thenとして、平成の(旧)函館区公会堂の写真をわざわざ
モノクロで飾っている。
しかしながら、公会堂のほうでは町会所については一切語られず、
大火で焼失した町会所を相馬哲平の5万円により
(別の建築物として)竣工した事実だけ明示ということなのである。
3.
あまりに不可解なので、この経緯についての情報を求めて、
その後すぐに旧相馬邸の東出館長を訪ねた。(これまた旧相馬邸、公会堂から徒歩2分)
いきなりのアポなし訪問にこちらの館長は丁寧に対応してくださった。
相馬家側にはその公会堂「新築」に関する5万円寄付の前後について
くわしい資料は残っていないとのこと。
ただし、明治40年の大火では相馬邸も焼失しているわけで、
5万円の寄付は並大抵のことではなかったこと、そして、哲平は再建場所を
今の公会堂の位置で再建するなら、という条件付きで出費したのだ、
(再建か新築かは今更不明ですが)と語ってくれました。
確かに旧公会堂は外見がいい。黄色と白でビジュアル映えする施設。
しかし、その設計、内部構造を考えるときに「公会堂」機能以外に、
「迎賓館」的な要素もイメージにはあったのではないか。
そうでなければ、浴室や予備室(従者の控室)が
しっかり割り当てられているのは不可解。
結局、一般的なホテルとしての使用はされなかったのだが、
明治44年に皇太子殿下(大正天皇)…宿舎として使用、
大正11年にも摂政宮殿下(昭和天皇)の来訪を受けているところからも、
その設計意図は明白であろう。
それも公会堂からは「ホテルとして使用されなかった」事実しか紹介されない。
まさか、徒歩1分の距離にある、函館市写真歴史館のスタッフと、
旧函館区公会堂のスタッフがお互いの展示物について無知である、
というお粗末なオチは予想したくない。
片や市の運営で、片や公益法人が運営しているとか、
そんなことは来訪者には関係ない。
それにしても「まさか」と思うのは、
函館市重要文化財旧函館区公会堂という正式名称、
函館市"重要文化財"旧函館区公会堂ということですか?
函館市の重要文化財じゃなくて、国指定の重要文化財
(本館は1974年、付属棟は1980年に指定)
という意味???
いやはやナンセンスかつ、わかりにくいネーミングだと思うのは
自分だけでしょうか?
正式名称、要る?
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