★休日に適当に金を使う=旅ではありません★貧困な文化を許容するか否か、で。
某所で繰り返し「柔軟な発想の具体例」を検索している奇特な人がいるんだけど、
まさに自分と違う価値観の人の受け取り方を聞いてみて「差分」を考えることこそが
大切なんじゃないだろうか。
でも、多くは
「自分はそう考えたことがない」止まりで
どう考えるも、ここが意見が分かれるも何もない。
もてなされるときの不満は、もてなす側に立ったときに反映されてしかるべきだけど、
どうだろう。
さて、JALの機内誌スカイワードに浅田次郎氏が連載を持っていて(つばさよつばさ)
6月号はちょうど温泉の話。月が替わると真っ先にこのページを読む。
今月は厳選十湯・取材つきという企画につい乗ってしまい、入浴シーンも撮影される
という醜態?をさらしてしまったエピソードが紹介されていた。
確か、この浅田次郎氏は生粋の東京っ子。家柄もよろしかったと記憶しているが、
彼の言う厳選十湯はすべて温泉と旅館のペアらしい。言い換えれば湯船と料理のセット。
それが出版社の経費で楽しめるならば、そりゃ作家になってよかったよかった、という話だ。
旅行=非日常で、温泉は料理とセット。そりゃぜいたくでしょう。つまり旅=贅沢。
贅沢をしに自宅を離れる。
自分は必ずしもそうじゃないと思う。
だって贅沢するだけなら、贅沢=浪費で事は済む。
正確に言えば「浪費」と認識した時点でケチの虫が頭をもたげている、ということでもあるが。
非日常と贅沢をいかに分離するか。
もちろん重なりも一定程度あるにせよ、最低限の予算でめいっぱい楽しむ、が庶民の旅ではないのか?
健康ランドで満足するか、格安ツアーに応募するか、そこに妥協点は存在するはずだ。
はっきりしているのは温泉街のど真ん中で生まれた自分にとって、
温泉は日常だし、豪華な料理はついてこない。
もしもそうじゃない人のほうが多数派ならば、この価値観はわかるまい。
その旅行者は予算に見合った豪華な料理を判断する舌をお持ちか?
東京下町の料亭のほうが料理としてはよっぽど一流だし、非日常。
最終結論はまだ出さない。
誰かが言った。
北陸=新鮮な魚介のイメージ。
なんという貧困な発想だろう。
ダメな都会人こそ、マーケットの餌食になっている。そういうことだろうか。
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