★寝顔は公開しませんが撮ってます★いつもの四人組、彼らは何に懸命?
とっても微妙な気分だけど、振り切って(笑)。
いざというときに緊張しないためには慣れ。
度胸があるかないかの個人差はあるんだろうけど、度胸のない奴の慣れと
度胸のある奴の初めて、をイメージするとどうかね。
さて、度胸に関係なく「初めて」の事柄が日常なわけはないわな、非日常。。。
でもってケイバが「非日常」である時点で、たぶんこっちの言い分は伝わらない。
「ケイバが日常」な人のキモチが「ケイバが非日常」な人にはわかるわけない。
もちろん常に日常化を意識して全レース買っているから、
ケイバが非日常の人の気持ちはこっちからもわからない。
にもかかわらず、奥底には
「ケイバは非日常だから負けてもしょうがない」というのがあるんじゃないか。
「ケイバという日常に負け続けているのは悔しすぎる」なんて思わないから、
そもそもモチベーションから違う。
まあいい。
そこに日頃以上のギャップを感じるのが地元函館開催。
函館旅行を日常と意識せよ、なんて成り立つわけはない。
旅行は非日常。当たり前。
でもついでに函館競馬も非日常に成り下がる。
これをケイバそのものが非日常の人に問いても、「さっぱりわからん」だろう。
だから自分がイラつくポイントは、「普段ケイバしているのに函館競馬だけ特別になる奴」
の非日常行動なのである。
しかし、だ。
冷静に考えてみると、ケイバ=非日常な奴の函館訪問の比率は、場外時より高い。
場外時でもパドックシート最前列で、「珍しい場所に来てしまった奴」が半分以上なんだから
開催時となると「にわかファン」だらけになるのはしかたのないことだと思う。
永年、函館を含めて競馬場の指定席に入り浸っていて感じるのは「ケイバが日常」な馬券ファンが
いかに育っていないか、だ。だからこそ「BB団」に感じるところが生じるわけだけど。
「指定席で舞い上がってしまっている奴ら」には、「ケイバが日常」なコアなファンの存在は
意識することは不可能という構図になる。
こっちが「だから負けるんだよね。そもそも準備不足というか、準備してないじゃん!」と
思ってもなぜそう見られるのかすら理解できない。
残念だけど。
日曜日、典型的な四人衆がネット指定ゾーンに4人横並びで座っていた。
こういう人たちは狭い狭い函館競馬場の指定席でも1日に何組も来ているので、
「典型的」という表現が可能なんだけど、本人たちにとってみればそうじゃないのではないか?
視点の変換が不可能、なのはギャンブル脳の典型だけど、その域にまでも達していない。
必死に馬券と格闘することすら放棄している。
許されるか、許されないか。
はい、個人の勝手ですか? もっとよく考えたほうがいい。と思う。
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